おはようございます、小野です。
今日は台湾関連のトピックになります。
私の台湾人の友人に、「千恵さん」という方がいます。
私は「ちえさん」と日本式に呼んでいますが、本来の中国語での読み方は「チェンフイ」。
もちろん千恵さんは日本人じゃなく、日台ハーフでもなく、生粋の台湾人です。
「千恵」という漢字から、よく日本人或いは日台ハーフに間違われるそうです。
私も初めて「千恵さん」に会った際は、ハーフかな?と思っていました。
何故「千恵さん」なのでしょう・・・?
千恵さんの名前は、「昔日本人だった」彼女のおじいちゃんがつけたそうです。
「昔日本人だった」というのは、日本統治時代に国籍が「日本」になっていたという
意味で、千恵さんのおじいちゃんは、生粋の台湾人です。
おじいちゃんは自分の子供たちには、普通に台湾人の名前をつけました。
孫たちも全員、一般的な台湾人の名前だそうです。
ただし、千恵さんを除いては。
最後の孫である千恵さんだけ、何故か日本人の名前。
千恵さんは、おじいちゃんからずっと「ちえこ」と、日本語で呼ばれていたそうです。
子供だった千恵さんは「なに、ちえこって?私はチェンフイなのに・・・?」と、
疑問に思っていたそうです。
李登輝さんと小学校のクラスメートだった千恵さんのおばあちゃんは、電話がかかってくると、
いつも「はい」と出ていたそうです。
その度に千恵さんは、「なに、はいって?何でウェイ(口偏に畏と書く)じゃないの?」と
ずっと不思議に感じていたそうです。
高校生になった千恵さんは日本のアイドル「嵐」が大好きで、日本語の勉強をはじめました。
それを聞いたおじいちゃんは、とても喜んでくれたそうです。
日本語を学習する外国人の学習動機は、
「日本のアニメが好き」「日本のゲームが好き」「日本食が大好き」等、万国共通のものが
多いですが、台湾人には独特の動機の方が時々いらっしゃいます。
それは、「おじいいちゃん、おばあちゃんと話がしたかった」というもの。
千恵さんの場合、「日本のアイドル」から入っていますが。。。
ご存知の通り、1895年~1945年までの50年間、台湾は日本でした。
当時の台湾で高等教育を受けた世代の方々は、「台湾語」「日本語」の二か国語を
ネイティブレベルで話します。いわゆる「日本語世代」と呼ばれる台湾人の方々です。
台湾語=簡単に説明しますと、もともと台湾での土着言語で、中国語とは異なります。
弊社のスタッフもそうですが、南部出身の子は今でも台湾語を理解できる子も結構いますが、
特に首都台北圏では台湾語を理解できる若い子が極端に少なくなっています。
なので、若い世代の子たちは、台湾語・日本語が母国語である自分のおじいちゃん・おばあちゃん
と会話ができません。そして親日である若い子たちの中には、
「おじいちゃん、おばあちゃんと話がしたい」という理由(=高いモチベーション)で、
日本語を並々ならぬ向上心で学習する子もいます。
日本語を通じ、大好きなおじいちゃん、おばあちゃんと徐々に会話ができるようになる。
感情的に、なんとも言えないんでしょうね。
特におじいちゃん、おばあちゃんは。泣いて喜んでくれるそうです。
これは台湾人にしかわからない、
我々日本人には到底わかりえない感情です。
日本語で千恵さんと話すことができた時、おじいちゃんはどんな気持ちだったのでしょう。
何故おじいちゃんは、最後の孫だけに「千恵」という名前にをつけたのでしょう。
おじいちゃんが亡くなった今となっては、千恵さんにもわからないそうです。
先月台湾オフィス出張の際に千恵さんとお話する機会があり、私自身も初めてこのことを聞き、
コラムでシェアさせていただきいなと感じ、今回のトピックにさせていただきました。
今週はタイのトピックとは全く関係なくなってしまいましたね、、、
本日も最後まで読んでいただきありがとうございました。(小野)